たまりば

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Posted by たまりば運営事務局  at 

2011年09月07日

不定期お茶会やってます

前々回のお茶会は
美味しい手作りパンカフェでicon28
主に私の愚痴で終始してしまいましたicon11



前回は
あまり時間の余裕がなかったため
コミュニティセンター地階のリニューアルしたレストランへicon16
安いのにボリュームあって美味しかったですface02

介護の悩みを口に出す場とは別に
介護と全く関係ない自分の居場所が必要だよね
という話になりました

時間が許すなら社会人として働きたい気持ちはあるけれど
それが難しいなら
趣味のサークルや特技を生かせるボランティアなど
無理なく定期的に活動できる場に参加すると
介護のストレスも紛れるよね
きっと

因みに私は
毎日のように実家でフルートの練習を大音量でしていますicon37
自宅マンションでは楽器練習できませんからicon38
フルートの練習がメインで
両親の病院送迎やお世話は口実な気がしていますface02


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会員は常時募集しています
単発での参加もOKです

お茶会は
時間があえばいつでも

お気軽にメールくださいねicon30
hamura_kaigo@yahoo.co.jp  


  • Posted by しゃべろう会  at 01:55Comments(2)お知らせと報告

    2011年06月28日

    再び被災地へ行ってきます

    日々の生活に流され、ブログ更新が滞ってしまいました。

    明日の夜から、再び被災地へ行ってきます。

    震災ボラ報告の続きは、別のブログに書かせていただきました。
    このブログは、家族介護や地元の話題に戻ります。  


  • Posted by しゃべろう会  at 23:18Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月12日

    これからボラに行く方へ

    ボラの必需品は耳栓(イヤホン)です

    雑魚寝状態のところで集中して眠るためには絶対必要です。


    あとは、大体、現地で手に入ります。
    できるだけ、現地でお金を使うことも支援に繋がると思います。
    (もちろん、場所にもよりますが)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



    ボランちゃん、お茶にしよう!

    私が、遊楽館のベンチに座って、独り落ち込んでいたとき、
    被災者の方がペットボトルを持ってきてくださいました。

    何ごともなかったような景色を眺めながら、
    ただ、ただ、平和なお喋りを、私たちは楽しみました。



    私たちの前ではいつも笑顔の被災者の方々を見ていて思いました。

    壁にぶつかったとき、本当に強いのは、
    ボランティアする私たちではなく、
    今日を、黙々と生きている、被災者の皆さんだと。


    私は、ただの一度も、
    頑張ってください、応援しています
    とは言えませんでした。

    でも、被災者の皆さんは、いつも
    頑張り過ぎちゃダメだよ、
    ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、体力つけなきゃ
    と、私に声をかけてくださいました。

    私が喫茶コーナーであたふたしていると
    見張り番しててあげるから、用事済ませておいで
    と、気遣ってくださいました。

    ボランティアしてもらっていたのは、私の方でした。



    お別れの日、ある被災者の方が言いました。

    観光気分でボランティアに来られるのは、まだ抵抗あるけど、
    一番辛いのは、忘れられてしまうこと、それだけです、と。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    これからボラに行く方へ

    短期であろうと長期であろうと、
    私たちは、与えられた業務を遂行し、
    そして、次のボラへ、何かを繋いでいくことが必要なんだと思います。
    その何かが、みんな同じなら、世の中スムースにいくのでしょうが・・・。

    私が得たものは、決して忘れない、という、たくさんの思い出です。
    (思い出といってる時点で、過去になってしまったようで切ないですが)

    くれぐれも、無理し過ぎない程度に、頑張ってくださいね!


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    このブログを公開するにあたり、
    多くの方に、不快な思いをさせてしまったことに心が痛みます。
    でも、公開しなかったら、被災者の皆さんの痛みを、放置しかねることになりません。
    また、公開したことによって、被災者の皆さんへの風当たりが、さらに激しくならないか心配です。

    被災者の皆さんが少しでも多く笑顔でいられる時間が増えることを祈り続けています。


    ボラン
      


  • Posted by しゃべろう会  at 00:40Comments(2)東日本大震災ボラ

    2011年05月11日

    震災2ヶ月

    東北の人が、いくら我慢強いといっても、
    今日で2ヶ月が経ちます。

    最新式の全自動洗濯乾燥機が欲しいと言っているのではありません。
    自分のパンツや靴下を、自分で洗いたい、と言っているだけです。

    どうして、こんな簡単な要望が叶えられないのか、不思議でなりません。


    まだまだ、報告したいこと、報告すべきことはたくさんあります。

    でも、現地で、私が怒れば怒るほど、
    事態が後退していったように、
    私がブログに書けば書くほど、
    焦点がずれていくような予感がします。

    遊楽館にも共同支援ネットワーク石巻事務所にも、責任者がいませんでした。
    ひとりひとりは、私なんかより熱く、正義感がある、笑顔の素敵な人たちでした。
    でも、責任者ではないから、根本を変えることには消極的でした。

    今回、もし、誰が洗濯禁止なんて言い出したんだ
    という話に発展したとしたら、
    皆の仲たがいが始まってしまいそうな気がします。

    責任の所在なんて、どうでもいいんです。
    今日から使っていいですよ、という言葉が欲しいだけなんです。


    私が、これからどういう方法で支援していくのか、
    それはまた、別の場所で、お話したいと思います。


    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 22:28Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月11日

    避難所TBS取材

    遊楽館にTBSの取材が来たのは、4/21(木)です。
    それが放映されたのは4/23(土)夕方の報道特集です。
    (家族や友人からのメールで知りました)

    いまさっきYouTubeで見たものが、同じものかはわかりません。


    ただ、私は、今日初めて、深く反省しました。
    ウソは語っていませんが、真実が見えてこないコメントだからです。


    あの日の私は、かなり苛立っていました。
    食事用のトレイを何度も注文しているのに、入ってこないことに。

    150枚くらいなら、自分で買って寄付したほうが早いのに、
    それをやってはダメ、まずは本部を通さないと、という先輩方の指導に従って、辛抱強く待っていました。

    でも、もう入ってくる可能性はない!とあの日悟りました。
    (実際、本部経由でトレイが入ってくることはありませんでした)

    ならば、テレビで訴えれば、100円ショップの社員が見て贈ってくれるかもしれない、と思い、テレビカメラの前に自ら進んでいきました。
    「他にも足りないものはありますか」という質問に、
    「洗濯機がないんです」と答え、
    そちらだけが放映されてしまったようです。

    正確には、
    「洗濯機はあるけど、洗濯が禁止なんです。手洗いも、干すのも禁止なんです」
    そう言うべきでした。
    (でも、そう言ったら、全部カットされていたに違いありませんが)

    そして、
    「1週間くらい着続けて、捨てるしかないんです」と私はコメントしているが、
    正確には、
    「自費でクリーニングに出せる人だけ出しているそうです」
    と言うべきでした。

    1週間くらいで捨てちゃうなんて、もったいないね

    という批判の声が聞こえてきそうです。
    被災者が贅沢をしている、と誤解されそうな、私のコメントでした。
    本当に、申し訳ないことをしたと思います。


    基本的に、被災者はマスコミ不信に陥っていました。
    「これからマスコミが入ります」という連絡は一切なく、
    スーっと入ってきて、スーっと撮って、スーっと出て行く。
    疲れきって弱っている姿を映されたくない、
    それは当たり前すぎる意見です。

    そして、編集の妙。もちろん、悪い意味で。



    この取材放映の件は、これで終わりませんでした。
    この日以降の、共同支援ネットワークの新人オリエンテーションで
    「マスコミが来たら、ボランティアなので何もわかりません」と応えるようにとの指導がなされるようになったそうです。

    放送翌日には、支援の洗濯機が届いたそうです。
    もちろん、使われることはありませんでしたが。


    ボラン
      


  • Posted by しゃべろう会  at 14:52Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月11日

    ボラはサービス業

    ボランティアはサービス業じゃない、
    私たちは、被災者にサービスをしにきたんじゃない、
    自立のための方法を教えにきたんです。
    甘やかして何でもやってあげるのは止めましょう。

    ある施設経営者が言っていました。

    ・・・・・・・

    いろいろな考え方があっていいと思います。


    私は、
    ボランティアは究極のサービス業だと思っています。

    仕事を休んで、
    必要な資格を取って、
    お金を払ってでも、
    それでもやりたくなるのがボランティアです。

    そして、自分と相手にとってメリットがなければ、続きません。

    きっかけは、同情や自己満足だとしても、
    相手に、理想論を押し付けたり、
    必要以上の遠慮や我慢を強いるようになったら、
    そこは、避難所ではなく、収容所になってしまいます。


    私は、家族や家や仕事を一瞬にして失ってしまった人々が、
    1ヶ月くらいで立ち直れるとは思えません。
    辛い過去と、不安な未来を抱え、それでも
    残った家族を支えるため、気を張り詰めて今日を生きている人々に、
    ムチを与えることの意味がわかりません。

    甘えられるときに甘えて、
    いつもより高カロリーのものをたくさん食べて、
    気分転換になる新しい服を着て、
    エネルギーを充電するための手伝いをするのが、
    ボランティアとしての私の役目だと思っています。

    私は、自分が疲れきったときには、
    超高級ホテルに泊まります。
    ディズニーのサービス関連の本を読みます。
    母に食事を作ってもらいます。

    これでもか!というほどのサービスを受けると、元気になれます。


    日本中が貧乏になって、何もないなら別ですが、
    捨てるほどの物資が届いている状況です。

    食器があるのに、わざわざ紙皿を使ったり、
    ティッシュを皿代わりに使うことの意味が、私にはわかりません。
    なぜ、惨めさを増長させるような、対応をするのでしょうか。

    不便な生活だからこそ、
    質のいいもの、見栄えのいいもので補うべきなのではないでしょうか。

    ボラメンバーが、いい匂いのクリームを使っていました。
    それに気づいた高齢の被災者が「いい匂いね」と一言。
    ボラメンバーは、自分のクリームを取り出し、
    ハンドマッサージも兼ねて、その高齢者の手に塗りました。

    他のスタッフに知れ渡ったら、
    認知症の人が舐めたらどうするんですか、
    と怒られるに違いありません。
    ハンドマッサージは、こっそりと次のボラメンバーにも引き継がれました。


    遊楽館には図書室があります。
    もちろん、被災者は立ち入り禁止です。
    地震でひび割れがあり危険だからと書面にありましたが、
    避難訓練を受けていないスタッフが立ち入りできる程度の危険性です。

    いい匂いのクリームと同様、
    本を読むことは、癒しに繋がります。

    時間帯を決めて貸し出しするとか、
    カートに積んで、体育館内を回るとか、
    提案しましたが、却下でした。

    本音を問うと、
    本が返却されない可能性が高いから、と。

    返却したくないほどその本が気に入ったのなら、喜んで贈呈すればいい。
    本なんて全国に捨てるほどあるのだから、足りなくなったら寄付してもらえばいい。

    そもそも、市民の税金で建てた遊楽館なのに、
    どうして被災した市民が自由に使えなくて、
    よそ者のボランティア集団がのさばっているのだろうか。

    行政関係の人、仕事で来ている人、
    何よりも、目立ったことを言って家族が居辛くなったら困るという被災者、
    みんなそれぞれの立場があり、意見を言えないそうです。

    だからこそ、私たちボランティアが、発言すべきだし、
    ボランティアで知りえた情報を、
    正確に、世の中に伝えなければいけないと、
    私は思っています。




    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 12:51Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月10日

    私がすべきこと

    ボラメンバーが、本職である介護や看護とは違った表現方法で、アイデアを実現させていくなか、

    私の特技って何だろう?
    得意なことって何だろう?

    他のボラメンバーが苦手で、私には出来る事って?

    自問自答を始める前に、身体が動いていました。

    それは、本部や調理場との交渉でした。

    業務を円滑に遂行するための、お願い事。



    体育館と調理場まで100メートル程を、
    食事時間のポットのお湯補充だけでも3往復。
    被災者の枕元を、配膳台車がガラガラ通るのも気にかかる。
    食事時間だけでも、非常口を使わせてもらえれば60メートル短縮になるうえ、被災者の枕元を通らずにすむ。

    ボラ先輩たちからは、余計なことをしないでほしいと言われました。
    でも、このお願い事は、簡単に叶えられました。

    「え、今まで使ってなかったんですか?」と、建物の管理者に言われました。



    被災者に食事の感想を聞き、調理室に伝えることも続けました。

    箱ティッシュや文房具を、本部から貰いにくい、という被災者の意見を聞き、その場で本部にお願いして、私たちの喫茶コーナーに在庫を置かせてもらいました。

    夕食後にコーヒーを飲みたい、乾燥しているから飴を舐めたい、という被災者の要望の実現には二日ほどかかりましたが、栄養士のOKが出ました(その後1週間ほどで廃止されましたが)。


    使用可能な給水器が1台しかなく、本部にお願いしたら、倉庫から探し出してくれました。
    水浸しになっていた給水器の下の布も、本部にお願いしたら、敷き替えてくれました。

    食事用のトレイ(お盆)もお願いしました。


    私は一日に何度も本部へお願いに行きました。毎日行きました。

    お願いではなく、文句に聞こえていたかもしれません。

    私は、ウェイトレス業務とお願い事に忙しく、
    被災者の布団までいってお話を伺う、という介護ボラらしいことはやっていませんでした。

    でも、私がいつも、本部へ文句を言いに行く姿を見ている被災者は、
    私に、私が気づいていない現状を教えに来てくれるようになりました。

    ブログには、とても書けないような、悲しい現実です。



    ボラは、4日から1週間コースが多く、
    共同支援ネットワークの遊楽館チームだけでも、
    毎週火曜と土曜には、
    4~6人帰宅して、新しく4~6人入ってくる、みたいな繰り返しでした。

    被災者は、新人ボラが来るたびに、
    津波のことを話したりはしません。

    被災者は、他愛のない会話で、笑顔になりたいのです。

    そして被災者の関心事は、
    今の避難所生活の改善と、今後の生活についてです。


    私の役割りは、この、今の生活改善のために、努力することだと、感じました。


    ボラン


      


  • Posted by しゃべろう会  at 19:35Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月10日

    目の前の出来る事


    手作りのお盆です。

    被災者は、ダンボール箱を手で破いて、お盆がわりに使っていました。

    ダンボールお盆の底は平らじゃないので、お茶やスープがこぼれやすく、濡れてヨレヨレになっています。

    そのダンボールさえ手に入らない被災者も多く、直接、布団の上に茶碗を置いて食べています。


    遠慮深い被災者が非常に多いので、

    もっといいダンボールが欲しいとか
    ハサミとガムテープを貸してくださいとか
    ちゃんとしたお盆を注文してくださいとか

    言ってくることはありません。


    写真は、ボラメンバーが、補強したダンボールお盆です。
    業務の合間に、コツコツと補強していきました。




    ボラ期間の長短は関係なく、
    今、自分が、出来る事、
    目の前の、やるべき事、
    それが見えるボラたちは、幸せです。

    震災から、何度も被災地に足を運んでいるのに、
    何をしたらいいかよくわからない、
    結局何もしないで帰っていく、
    それでも来ることに意味があるんだと思う、
    と言っているボラがいましたが、
    そんなところで満足してほしくないと、私は思います。

    1つでいいから、被災者の支援に繋がることをやらなきゃ、
    被災地に来た意味がないと、私は思います。

    被災地までの交通費と準備費と、
    被災地で使わせてもらった水や電気、
    被災地に捨てさせてもらった日々のゴミや糞尿、
    それらの費用分の働きができないなら、
    義援金や支援金で応援した方がいいと、私は思います。


    たった1日間のボラメンバーが、
    お茶類(何十種類のお茶類・コーヒーの砂糖など)が散乱したダンボール5箱を、
    分類仕分けし、在庫が一目瞭然となりました。
    それまで、緑茶と一種類の紅茶と瓶コーヒーぐらいしか提供できなかったのが、
    ドリップ式コーヒーや、ゆず茶・生姜茶・リラックス茶などもふんだんに提供できるようになり、
    被災者の皆さんに喜ばれたのは言うまでもありません。


    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 00:25Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月09日

    被災者の自立支援

    被災者のためと思って、何でも与えて何でもやってあげるのは間違っている、ということを多くの専門家が言います。
    介護の世界でも「自立支援」がお題目のように叫ばれています。

    ただ、この現状で、果たして自立ができるのでしょうか。

    自分で洗濯したくても、洗濯そのものが禁止されている。
    炊き出しの手伝いをしたくても、調理室の立ち入りを禁止されている。
    要介護者に、日中の服と、寝巻きを着替えさせたくても、余分な衣類の支給がない。



    そんな中、誰とも揉めないアプローチで、自立支援に取り組んだボラメンバーがいます。

    ダンボールで作ったテーブルです。

    布団の上に、直接、お椀や湯のみを置いて食事する高齢者が多いため、
    安定した台に食器をのせ、姿勢正しく座ることを目的に作られました。
    写真は、右脚を伸ばして座る人用のテーブルです。

    高齢者自身の自立と、これを作成する家族やボラの自立にも繋がります。



    もう一つ、物資でよく入ってくるクロワッサンの空き箱を使ったくつ入れです。

    被災者とボラの共作です。


    さらに、もう一つの力作。
    体育館の出入り口の段差に、スロープの共作があります。

    (写真は、ボラメンバー提供)

    車椅子でも、体育館の外に出ることが容易になりました。



    ボラン

      


  • Posted by しゃべろう会  at 10:53Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月08日

    避難所のメニュー

    避難所には毎日、自衛隊の皆さんが、物資を運んでくれます。
    運ばれた物資は、避難所側の管理になります。

    食材がたくさん届いたからといって、
    豪華なメニューが出されることはありません。

    身体が一番弱っている方にとって好ましくないものは出されません。
    (100人中、1人でも、飴をのどに詰まらせる可能性がある場合、
    99人の健康な人にも飴の提供は禁止です)

    厳しい管理下の中、
    少しでも和んで、元の生活に近づいてほしい、というボラメンバーが、メニューボードを作成しました。

    ダンボールと折り紙で作成。
    クリアファイルを貼り付け、メニュー表を差し替えられるようにしました。

    シンプルな献立でも、メニューボードに書かれていると好評でした。
    「お店にいるみたいだね」
    「お昼は温かいスープなの?楽しみ!」
    「次はパンなの?お腹の調子悪いから、お粥いただきたいんだけど」






    メニューボードと平行して、同じボラメンバーが取り組んだのが、業務のタイムスケジュール作成でした。

    ボラ初日、寝不足のまま現地入り、
    2日目には自主的に動き、
    3日目には新人指導、
    4日目は帰宅、

    という短期ボラが多いため、
    先輩がいなくても業務を遂行できるマニュアルが必須でした。

    下書きする人、チェックする人、PCに打ち込む人、
    一つの漏れもない、わかりやすいタイムスケジュール表が完成しました。

    業務は日々変化することも考え、データにして、
    共同支援ネットワーク石巻事務所の事務局に渡しました。


    マニュアルを持ち歩かない人がいることも見越したボラメンバーは、
    配膳台車にも、チェック事項を張り出しました。

    それでも見ない人は、調理室と体育館を行ったり来たりしなければならない、ということです。




    このタイムスケジュール表は、
    わずか1週間で、消えてしまいました。

    新人に配られていない。
    事務局のどのPCに保存されているのか伝達共有されていない。

    この件には続きがあるので、また書きます。



    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 10:58Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月07日

    春が来た


    東京より約2週間遅れで、石巻に桜が咲きました。

    物資のダンボール箱の中に隠れていた桜湯icon31

    そうだ、3時のお茶に出そう!

    特別美味しいものではありません。
    でも、とても喜んでいただけました。

    「病院に行ってるばあさんにも見せたいから、もう一杯、もらってもいい?」
    「久しぶりにおいしいお茶飲ませてもらったわ、ありがとう」
    「やっぱり桜はいいねぇ」
    「春が来たって感じがするよ」


    桜湯は、おめでたい席で出されるもの。
    避難所は決して幸せな場所ではない。
    被災者は、とても辛い体験をされている。
    でも、一時、辛いことを忘れて、桜の花びらに笑顔を見せてもいいと、私は思います。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    共同支援ネットワーク石巻事務所の宿泊所から遊楽館まで車で30分。

    東北では、菜の花も桜も一斉に開花します。
    道すがら、菜の花を摘んで、体育館に飾ることを思いついたボラメンバー。

    車椅子の被災者は、外に出て、季節を感じることもできません。

    「いつの間にか、春が来てたのね」

    とても喜んでいただけました。





    でも、
    花は不衛生だ
    認知症の人が食べたら誰が責任取るんだ
    小さい子供の手の届くところに置くな

    被災者以外の人々からのクレームは続きました。



    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 14:34Comments(2)東日本大震災ボラ

    2011年05月07日

    私たちにできること

    私は、共同支援ネットワークという大震災ボラ派遣団体に登録しました。

    介護か看護職の募集で、出発直前の電話でも、夜勤の介護をやってほしい、ということでした。


    最初に派遣された場所は、老健施設でした。
    ここに被災者は一人もいませんでした。

    次に派遣された場所が遊楽館です。
    ここに介護と看護の仕事はありませんでした。

    調理補助や盛り付け、喫茶コーナーでの見守り、が私たちに与えられた仕事です。

    ウェイトレスのような仕事を、私は嫌いではなかったので、それは受け入れることができました。




    ほとんどのメンバーがベテランの看護師か介護士でしたが、
    その職種とは違った、各自の特技を発揮することとなりました。

    料理が得意な人たちは、直前に届いた食材からメニューを提案し、150人分の食事をパッパッと作っていきます。
    その中でも、指示の上手い人、包丁が早い人、盛り付けのきれいな人、など自然に役割分担がなされました。

    もちろん、お年寄りのお世話がしたいという思いが強い人は、ポットのお湯の補充よりも、お年寄りと話し込むことが多く見受けられました。
    でも、それはそれ、ボランティアなのですから、業務に縛られることもないと思いました。




    ここから、しばらく、ボラメンバーがやって、被災者に喜ばれたことを紹介していきます。


    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 14:03Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月06日

    避難所の簡易ベッド


    4/25、福祉避難所になるため、80床のベッドが搬入されました。

    介護度の高い方は電動ベッドですが、
    起き上がれる方は写真のような簡易ベッドです。

    これが体育館にズラッと並んだ様子は、決していいものではありませんでした。
    白地じゃなくて、柄物か、まだダンボールっぽい色の方がいいのに、と思いました。

    ただ、欠点はそれだけであり、
    被災者の評判はなかなか良いものでした。

    程よい弾力があり、寝心地は悪くないとのこと。
    高さも、イス代わりに座るのにちょうどよく、落下したときに大怪我をする心配がない。
    車椅子に移乗しやすくなったので、介助する側の負担も減った。

    今は、これで充分です、とおっしゃっていました。




    視察にきたある施設長が言っていました。
    あんなのベッドじゃない、
    ちゃんとしたのを使わせなきゃ、と。


    ちゃんとしたベッドを買うお金があるなら、
    家族が全員で一緒に住める仮設住宅を作ってください、
    多くの被災者からのご意見です。


    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 19:27Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月05日

    消えたご意見箱

    遠慮深い被災者が、匿名で意見を言うためには・・・?

    ボラメンバーが提案し、
    市役所と遊楽館本部の許可をもらい、
    箱を作り、
    設置。

    数十枚の貴重なご意見・ご要望が寄せられました。



    そのご意見箱が、
    実質3日間で、
    廃止されました。

    廃止理由を何度も問うてみましたが、納得のいく返事は得られず。



    一番、残念がっていたのは、被災者です。







    ↑ ご意見箱のご意見に対する被災者への回答が張り出されていました。

    ほんの少しだけ、矛盾を書かせていただきます。

    ●危険と言われている区域に、スタッフは自由に出入りしています。
    (そんな危険なところで避難訓練も受けていないボランティアを働かせて申し訳ありません、と被災者に言われました)

    ●衛生面から洗濯を自粛とありますが、洗濯しない方が不衛生であり、クリーニング代は自己負担のため経済的にも苦しまれています。



    ボラン

      


  • Posted by しゃべろう会  at 14:15Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月05日

    山積み物資


    遊楽館の駐車場にブルーシートが続きます。
    写真の手前にも数メートルのブルーシートがあります。

    館内にも物資倉庫があります。

    物資は毎日運ばれてきます。



    小学生の子が小さな声で言いました。

    パンツが欲しい

    1ヶ月半も洗濯禁止の状況で、替えのパンツは1枚支給されただけ。






    私が寝泊りしていた宿舎にも、応援物資は山積みでした。

    腐って使えなくなる野菜たち。

    物資の下敷きになって割れてしまったマグカップ。

    仕分けされないまま出番を失った冬服。


    善意の応援物資の送り主の伝票は捨てられ、礼状が書けない。




    義援金がまだ1円も配られていないため、節約の日々は続きます。

    目の前にある物資が配られないため、不便な日々は続きます。

    市民の税金で建てた建物の設備を使えないため、不自由な日々は続きます。



    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 01:33Comments(2)東日本大震災ボラ

    2011年05月04日

    使用禁止


    遊楽館の建物の周りは散歩コースになっています。

    外のトイレは2ヶ所あり、大きな流しがついています。

    左方向のトイレの前には、常に関係者が立っていて、
    右方向のトイレの流しの蛇口は外されています。


    どちらも使用禁止です。

    左方向の蛇口をひねってみたら、普通に水が出ました。
    右方向の蛇口が外されている理由を問うたら、
    被災者に使わせないため、と教えられました。



    被災者は、体育館以外のスペースは立ち入り禁止です。

    体育館のトイレは狭いです。
    男子用は個室が1つです。
    多いときで、60名ほどの男性がいました。


    被災者が、唯一、使用できる水道はトイレの洗面台です。
    手を洗うために作られたサイズなので、
    ここで顔を洗うと、床がびしょびしょになってしまいます。

    被災者は、汚したら悪いから、顔はウェットティッシュで拭いています、とのこと。

    スタッフ用のトイレは、女性用が10の個室と大きな洗面台4。




    調理師免許を持った被災者がお手伝いさせてくださいと申し出てくれました。
    調理室は被災者立ち入り禁止のためお断りしました。


    小高い丘の上に立つ遊楽館からコンビニまでは
    若い人の足で30分以上かかるため
    車を持たない被災者は、本でも読めれば気が紛れる、と言います。
    図書室も被災者立ち入り禁止です。


    パソコンルームもあり、スタッフは使用していますが被災者は立ち入り禁止です。
    ドコモ以外の携帯電波が非常に悪いため
    パソコンが使えれば仕事を探せるし、地方の友人と連絡も取れるのに・・・と被災者は言っていました。



    4/26から遊楽館は福祉避難所になりました。
    身体の介護度が高い方とその家族だけです。
    認知症の方は精神病院へ、
    介護する家族がいない、杖で歩ける程度の高齢者は、
    丘を下ったところにある小学校へ引っ越していきました。


    それにともない、体育館に1つあったシャワー室が、障害者専用となり、
    付き添いの家族は、自衛隊風呂の送迎を待つのみとなりました。



    遊楽館にはカフェラウンジのようなオープンスペースがたくさんあります。
    あそこで、付き添い家族が情報交換できたらいいんだけど、と被災者が言いました。
    年老いた家族のいる空間で、生活の不安やお金のことなど、絶対話せないそうです。
    津波に巻き込まれ、家族を失い、家を流され、身体も悪くし、それでも生きようと頑張っている高齢者に、
    これ以上心配をかけたくないと、複数の付き添い家族が言っていました。


    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 14:01Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月04日

    洗濯禁止令

    私が配属された避難所は

    石巻市の遊楽館という
    総合施設です。

    館内には、被災者が暮らすアリーナ(体育館)の他、

    調理室、図書室、温水プール、音楽ホールなどがあります。

    (敷地面積約5万8千平米、建物述床面積約8千9百平米、駐車場222台)



    私がそこへ初めて行ったのは4/17。震災から1ヶ月以上経っていました。

    写真は、太陽が降り注ぐ中庭に面したガラスに貼られたものです。





    洗濯機は物資や寄付で届いていますが、設置されていません。

    手洗いの洗濯も禁止です。

    被災者が利用可能な水道は、体育館のトイレ内の洗面台のみです。



    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 03:34Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年05月03日

    石巻ボラから戻りました

    約3週間弱のボランティアが終わりました。

    石巻は、ソフトバンク携帯の電波が悪く、ブログ投稿どころか、友人へのメール返信もほとんど出来ませんでした。


    一昨日深夜に帰宅し、
    風邪をこじらせてしまったため、
    とりあえず眠らなきゃならないのだけど、
    興奮しているのか、
    数時間しか眠れません。


    東京に戻り、
    浦島太郎になったような気分でした。

    石巻では桜や菜の花がいっせいに開花し、
    夜間はまだ寒いものの、日中は過ごしやすくなってきたところ。

    東京は、すでに桜の木は新緑が眩しいほどで、
    ツツジやハナミズキが咲いている。
    初夏という感じですね。

    久しぶりのテレビは、震災前と同じで、
    人々の会話からも、東北が遠い存在になりつつあることが感じ取れました。

    まだ、荷物の整理も、気持ちの整理もつかぬまま、
    地元の人々との会話に入っていくことが、
    こんなに困難だとは、自分自身でビックリしています。



    避難所の被災者の皆さんにお願いされたことがあります。

    ネットで、現状を伝えてくださいと。


    その一方で、私が所属していた団体から、
    ネットに、ここで知りえたことを何か一つでも書いたりしたら、
    名誉毀損で訴えることもありえます、と。
    その団体からは、何も書類をもらっていないし、
    守秘義務に関する説明もなかったし、
    そもそもそういうことを言ってくるのもボランティアなのだから、
    どこまでが団体本部の考えなのか、わからない状況です。


    感情論は抜きにして、

    事実だけを、

    ここに報告したいと思います。

    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 13:48Comments(0)東日本大震災ボラ

    2011年04月11日

    被災地へ行ってきます



    今夜のバスで仙台へ向かいます。

    明日から介護ボラです。

    早朝に仙台着で、集合時間まで2時間くらいあるので
    寒さ対策を万全にしたかったのだけれど
    これ以上、リュックに入りません、限界です。

    15キロ近くありますicon10

    介護以外のことで疲れ果てていますicon11



    明日からはスマホで現地報告しますね!

    ボラン  


  • Posted by しゃべろう会  at 20:45Comments(0)日記

    2011年03月22日

    我慢する高齢者

    被災地もそうですが

    あれこれ我慢して

    要望を言わない高齢者がたくさんいます。



    電話の向こうでは「大丈夫、何も心配いらないよ」と言うけれど

    この目で確かめなければ安心できません。


    なので、少し離れたところに住んでいる

    一人暮らしの叔母を訪ねました。


    近くの畑には、ふきのとう。

    被災地も、早く暖かくなるように願います。  


  • Posted by しゃべろう会  at 15:03Comments(0)日記