2011年05月07日
私たちにできること
私は、共同支援ネットワークという大震災ボラ派遣団体に登録しました。
介護か看護職の募集で、出発直前の電話でも、夜勤の介護をやってほしい、ということでした。
最初に派遣された場所は、老健施設でした。
ここに被災者は一人もいませんでした。
次に派遣された場所が遊楽館です。
ここに介護と看護の仕事はありませんでした。
調理補助や盛り付け、喫茶コーナーでの見守り、が私たちに与えられた仕事です。
ウェイトレスのような仕事を、私は嫌いではなかったので、それは受け入れることができました。
ほとんどのメンバーがベテランの看護師か介護士でしたが、
その職種とは違った、各自の特技を発揮することとなりました。
料理が得意な人たちは、直前に届いた食材からメニューを提案し、150人分の食事をパッパッと作っていきます。
その中でも、指示の上手い人、包丁が早い人、盛り付けのきれいな人、など自然に役割分担がなされました。
もちろん、お年寄りのお世話がしたいという思いが強い人は、ポットのお湯の補充よりも、お年寄りと話し込むことが多く見受けられました。
でも、それはそれ、ボランティアなのですから、業務に縛られることもないと思いました。
ここから、しばらく、ボラメンバーがやって、被災者に喜ばれたことを紹介していきます。
ボラン
介護か看護職の募集で、出発直前の電話でも、夜勤の介護をやってほしい、ということでした。
最初に派遣された場所は、老健施設でした。
ここに被災者は一人もいませんでした。
次に派遣された場所が遊楽館です。
ここに介護と看護の仕事はありませんでした。
調理補助や盛り付け、喫茶コーナーでの見守り、が私たちに与えられた仕事です。
ウェイトレスのような仕事を、私は嫌いではなかったので、それは受け入れることができました。
ほとんどのメンバーがベテランの看護師か介護士でしたが、
その職種とは違った、各自の特技を発揮することとなりました。
料理が得意な人たちは、直前に届いた食材からメニューを提案し、150人分の食事をパッパッと作っていきます。
その中でも、指示の上手い人、包丁が早い人、盛り付けのきれいな人、など自然に役割分担がなされました。
もちろん、お年寄りのお世話がしたいという思いが強い人は、ポットのお湯の補充よりも、お年寄りと話し込むことが多く見受けられました。
でも、それはそれ、ボランティアなのですから、業務に縛られることもないと思いました。
ここから、しばらく、ボラメンバーがやって、被災者に喜ばれたことを紹介していきます。
ボラン
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