たまりば

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2011年05月10日

私がすべきこと

ボラメンバーが、本職である介護や看護とは違った表現方法で、アイデアを実現させていくなか、

私の特技って何だろう?
得意なことって何だろう?

他のボラメンバーが苦手で、私には出来る事って?

自問自答を始める前に、身体が動いていました。

それは、本部や調理場との交渉でした。

業務を円滑に遂行するための、お願い事。



体育館と調理場まで100メートル程を、
食事時間のポットのお湯補充だけでも3往復。
被災者の枕元を、配膳台車がガラガラ通るのも気にかかる。
食事時間だけでも、非常口を使わせてもらえれば60メートル短縮になるうえ、被災者の枕元を通らずにすむ。

ボラ先輩たちからは、余計なことをしないでほしいと言われました。
でも、このお願い事は、簡単に叶えられました。

「え、今まで使ってなかったんですか?」と、建物の管理者に言われました。



被災者に食事の感想を聞き、調理室に伝えることも続けました。

箱ティッシュや文房具を、本部から貰いにくい、という被災者の意見を聞き、その場で本部にお願いして、私たちの喫茶コーナーに在庫を置かせてもらいました。

夕食後にコーヒーを飲みたい、乾燥しているから飴を舐めたい、という被災者の要望の実現には二日ほどかかりましたが、栄養士のOKが出ました(その後1週間ほどで廃止されましたが)。

私がすべきこと
使用可能な給水器が1台しかなく、本部にお願いしたら、倉庫から探し出してくれました。
水浸しになっていた給水器の下の布も、本部にお願いしたら、敷き替えてくれました。

食事用のトレイ(お盆)もお願いしました。


私は一日に何度も本部へお願いに行きました。毎日行きました。

お願いではなく、文句に聞こえていたかもしれません。

私は、ウェイトレス業務とお願い事に忙しく、
被災者の布団までいってお話を伺う、という介護ボラらしいことはやっていませんでした。

でも、私がいつも、本部へ文句を言いに行く姿を見ている被災者は、
私に、私が気づいていない現状を教えに来てくれるようになりました。

ブログには、とても書けないような、悲しい現実です。



ボラは、4日から1週間コースが多く、
共同支援ネットワークの遊楽館チームだけでも、
毎週火曜と土曜には、
4~6人帰宅して、新しく4~6人入ってくる、みたいな繰り返しでした。

被災者は、新人ボラが来るたびに、
津波のことを話したりはしません。

被災者は、他愛のない会話で、笑顔になりたいのです。

そして被災者の関心事は、
今の避難所生活の改善と、今後の生活についてです。


私の役割りは、この、今の生活改善のために、努力することだと、感じました。


ボラン





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    Posted by しゃべろう会  at 19:35 │Comments(0)東日本大震災ボラ

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